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| 連帯家族のおもしろさ(引用記事) あるブログ →リンク を転載させて頂きます。 グループファームと同じ方向の話だと思います。 いよいよ、始まるといいですね。始めましょう。 ―――――――以下、転載―――――――― 連帯家族 2010年03月11日 血のつながりも大事だが友人知人のつながりも大切だ。 家族は本来は大家族が通常だったので、育児や家事の負担が楽だった面がある。 また、大家族には意外にプライバシー重視の面があり、同じ居間にいてもそれぞれが勝手に何かをしていて、それでいて干渉しあわない気楽さがあった。 全員一致の話しの時だけ首を突っ込むだけで、あとは自分の世界が自由に作れる。 大家族は人間が生きていく上でわりと理想的な環境に近かった面がある。 現在は核家族が主流なので、家族間の絆は弱体化し、それぞれがバラバラになった。 夫婦の心も親子の心もつながっていない。 その中での子育てなど大変であるに決まっていて、多くの人が育児ノイローゼになって当然という構造になっている。 前回のブログ、月4万円で暮らす、の反響が大きかったようなので、今回も続編。 前回は貧乏でも楽しく生きられる面から語ったが、これは貧乏に限った話しとは違う。 核家族には実は無理があり、あれは仕事に奉仕する意味でつくられた、一種の奴隷制度的な生活形態である。 なので、核家族、勤め人、、、ということになると、家族間のつながりを必ず何か犠牲にしている。 その結果が離婚であり幼児虐待であり家庭崩壊であるなどの悲惨な状態を生じる。 これは私たちが巧みに奴隷状態におかれていると考えればわかりやすい。 その奴隷から解放されるために、月4万円で暮らす方法があり、さらに、連帯家族というような知人友人との助け合う、強力しあう生活を作る必要があると思う。 二世帯が一緒に暮らしても悪いわけではなく、とくに離婚した母子家庭などは単体で生活することは危険ですらある。 助け合いが必要。 同じ境遇の母子家庭が3組集まれば、もう何も怖くない。 子供を保育園に行かせるお金もいらない。 代わりばんこに見ていたほうが安心なうえ、法外な値段の保育園料金を払わないで済む。 食事も当然かわりばんこにつくり、夜は子供たちは大騒ぎするだろうが、大家族のような安心感に包まれる。 母たちはちょっぴりお酒など飲みながら、仕事の愚痴や冷たい上司の悪口を言い合う、、、ひとりの時にはあんなに思いつめていたことも、時には死すら思い浮かんだこともあっただろうが、みんなと愚痴を言いあえれば、なんだか状況は何も変わっていないのに、笑って済ませることができる。 これからは金の力で人が幸福になれるような、そんな単純な時代ではなくなっているのだ。 連帯家族を持つこと。 その必要がある人から順次そうしていくことだ。 お金をつかわない、、、 孤独ではない、、、 いざというときの助け合い、、、 日々の充実、、、 男ができたら、食事に呼び、みんなに見せてあげれば、正直な意見も聞けるだろうし、外泊もしやすくなる。 勝手に男を連れ込むことはタブーで当然だろうが、なんだかひとりひとりの人生のドラマを連帯家族で共有するありがたさは、おせっかいを超えた心の安全弁だ。 こうやって生きていくことを、日本人は長い間忘れてきた。 すべて仕事に奪われ、その結果家庭を壊し、子育てに悩み、体を痛め、、、そこまでやる必要などもうない。 考え方さえ、人を受け入れる気持ちさえ持てれば、すぐにも私たちは地獄から抜け出せる。 ともに暮らす連帯家族のような存在がこれからは大切になってくる。 OLなどで十分に生活ができる人でも、月10万円の家賃で暮らすなどもったいない。 5人集まれば、50万円だ。 50万円出せばちょっと郊外にでも出れば、それはお屋敷でも借りられる。 それなりに稼げる女性なら、なんらかのキャリアを持っているだろうから、ひとりは文章を書き、ひとりはデザインを担当し、ひとりは編集と厚生、ひとりは営業、ひとりは雑務、、、という具合で連帯家族となれば、なんだか仕事もバージョンアップ間違いない感じだし、もしかしたら出版社だって作れてしまう。 連帯して暮らす女性5人いれば、なんだか何だってできるような可能性を感じないだろうか。 男5人ではなんだか不安だが、女性5人ならきっとできる。 軽井沢の借り別荘などで5人で暮らせば、家賃は10万円、生活費も限りなく安い。 出社は新幹線代を会社から出してもらえばいい。 そして5人でやがてキャリアを持ち寄ってビジネスを立ち上げることだってできる。 連帯家族がいやになったら、もめる必要もない。 私しばらくまたひとりでやるよ、、、と云えば、わかった、、またさびしくなったらおいで。で済む。 この気楽さ、そして自由さ、そして可能性。 これまでの連帯はもっと重たく厳しい不快さがあった。 仲間を抜ける、、、何、、、おとしまえだ、、、的な連帯はご免こうむりたい。 大体、それではビジネスなどうまくいかない。 それは誰か、劣等感の強いボスをみんなでもちあげ、こちらがエネルギーをそれにささげる構造をしているので、その連帯に所属すればするほど、こちらのエネルギーは奪われていく。 そんな連帯からは早いところ逃げ出すに限る。 社会にはそうした重石があり、新たな連帯家族の本当の意味は、そうした収奪社会から早く抜け出すということなのだ。 そのためには、資格も金も何もいらない。 むしろ何もないで困っている人の方が有利である。 連帯家族。 ひとりで暮らすには死に物狂いでも、5人集まれば、きっと天国になる。 いやならやめればいいだけの話しなのだから。 誰が生きることを難しくした、、、誰が生きることをつまらなくした、、、全部上位者の利益のために私たちの自由を奪っただけではないか。 その手にもう乗ってはいけない。 私たちは連帯的家族のような心と生活のつながりを持って、新たな気持ちで生きていく時代に入ったのである。 ――――――――――――――― |